豚の解体をしてまいりました。毎年豚を半分こしていたカポッチ家のエミリアおばさんが今年はブタを買わないということなので、別の農家で買うことにした。このブタの飼い主のマリオさん。私は毎年マリオさんが手塩にかけて育てたキアーナ牛の解体にも参加しているので、“解体見知り”(?)である。マリオさんもこの辺りではオリーブオイルや畑の野菜から始まり、全ての家畜を自分の所で育てて食べることにしている人だ。
「この間自慢の子牛のステーキを炭火で焼いて食べていたら、18歳の娘が“これも一緒に食べましょう”、と言って市販されている冷凍の魚のフライをだしてきたんだよ。まったく、俺がこんなに苦労して自分の所で作った食品を家族に食べさせようとがんばっているのに、なんであんなもの食べたがるんだろうねー!」とあきれかえっていた。
今日は内臓を取りだして半分にしたブタを一晩つるして冷まさなければならないので、アニメッラ(胸腺の肉)だけもらって帰る。本格的な解体は明日なのだ。マリオさんは「脳みそいるか?」とたずねるので、「いいえ、食べません」と断った。脳みそは油で揚げたりして食通の人などは喜んで食べるそうだが、やはり私はオーソドックスな肉だけで十分だと思ってしまう。脳みそを食べるなんて、考えるだけでストレスになりそうだ。
天井から下がった大きな豚を見ても最初の時のように驚かなくなったし、歯がついた顔の肉も平気でこそぎ落とせるようになった。しかし、どうしても慣れないことが一つある。解体に参加していると、必ずどこからか農家のおばちゃんがコーヒーとクロスタータ(トルタ)を持って表れる。
「皆さん、朝ご飯にしましょう」一同は手を休め、アツアツのコーヒーを飲み、クロスタータを頬張る。
「あなたもどうぞ」と親切に勧めてくれるのだが、どうしても豚を前にして汚れた手で朝ご飯を食べる気にならない。周りを見回しても誰も手を洗っていないので、私だけ洗うとやはり角がたつだろうかと遠慮する。断れば断るほど勧めてくるので、最後は折れて食べることになる。しかしやがて慣れて、血まみれの豚を前にしておいしく朝ご飯を食べられるようになるのだろうか、としばし不安にかられてしまった。対策として、ゴム手袋をして解体に参加することにしてみた。
*明日はこのすばらしくおいしい豚肉を使って、ポレンタでも作ろうかな。次回をおたのしみに。
今日子 |